omayumoの日記

音大ピアノ科卒業生が、音楽に対峙して気付いたことをただ書き留めていくブログです。よろしくお願いします。

クライスラー プレリュードとアレグロ 徒然ノート1

クライスラー作曲、プレリュードとアレグロ

伴奏をする際、気付いたことを述べていく。

 

プレリュード

 

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冒頭はミシミシ…と唸るバイオリンの旋律から始まる。

バイオリンの旋律だけでこの曲の曲想が完結するわけではない。

ピアノの和声が非常に重要になってくる。

e-mollの主音の低音が鳴り響く中、

I→I7→ドッペルドミナント→Ⅵ→…

と和音が移り変わり、転調後も一度も終始することなくAndanteまで緊張が続く。

冒頭5小節目まで主音や属音の保持が続いていることも興味深い。

モーツァルト ヴァイオリン協奏曲第5番 徒然ノート

先日、コンチェルトの打ち合わせに伴奏者として参加させていただいた。

 

ただ1回の打ち合わせに25分程の伴奏を弾くなんて、なんと無茶な…と思っていたが、なんとかなるものですね。

 

無事に終わってよかったです。

モーツァルトは美しい。

サラサーテ 序奏とタランテラ 徒然ノート

昨日はコンクールの伴奏を任せてもらった。

演奏した曲はサラサーテの序奏とタランテラである。

 

前半の序奏の箇所のピアノとバイオリンの掛け合いが非常に美しい。

下に載せたのはスコアであるが、支えられた和声に乗っかる旋律の美しさをお分かりいただけるだろうか。

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いいねぇ…

 

各フレーズの始まり1拍目が8分休符であることから、次の小節の1拍目が拍頭としての重きを持つことになる。

したがって、それまでの8分音符はアウフタクトの働きのような雰囲気を持つことになる。

 

これがいい。

 

幻想的で、少し哀愁の漂う、他の音色との絡まり合い、痒いところに手が届くこの音楽の流れ、そして響き。

 

舞台の上で奏でることの幸せ。

一度経験すると戻れないですね。

ベートーヴェン 悲愴 第2楽章 徒然ノート

9月に悲愴を2楽章のみだが弾かせていただく機会をいただいた。

 

ソロで人前で弾くことはなかなかない機会なので本当に感謝が溢れてくる。

 

悲愴を演奏するのは中学生ぶりだろうか。

当時はレッスンで見ていただいていた。

10年の時を経て人前に出す。

とても感慨深い。

 

さて、久しぶりに譜を読んでいく。

ロンド形式である。

A→B→A→C→A→コーダ

と進んでいく中で、鳥肌が立った場面がある。

 

Cの場面、44小説目だ。

 

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このE-durのpp。

なんと神々しいことか。

苦悩から解き放たれ、温かく眩しいものに包み込まれるようなこの音。

何度でも噛み締めたい。

友人の結婚式の余興演奏 徒然ノート1

6月24日に催される友人の結婚式に招待された。

喜ばしい限りである。

 

余興演奏として、同期4人との連弾をお願いしていただいた。

演奏する曲は作曲専攻である彼女自ら編曲し、リレー連弾形式の連弾作品である。

 

彼女の自由奔放な感じが装飾音によく表れており、また自由奔放な中どこか真面目なところが曲の繋ぎに垣間見える。

 

同期4人が揃って合わせる時間がとても短くて深めれないことがとても悔やまれる。

 

まずは今日の合わせで上手くいくことを願う。

ボザ 森にて 徒然ノート3

5月15日。

無事にホルンの伴奏が終わった。

このご時世にホールで演奏できるのはとてもありがたい話である。

 

このコロナ禍でコンサートが何個も中止になり、実際にホールで演奏するのも1年以上ぶりであった。

 

ホールは良い。

 

紡いだ音がホールに飛んでいって響いていく空間。ただ音に溺れるためだけの空間。

音楽ホールの意味を再認識した。

 

フルコンの重み。低音の厚さ。倍音の響き。

なくしてはならない。

 

ボザの森にてという、グレゴリオ聖歌から現代までの道筋を辿るような曲を演奏できて心から良かったと感じる。

 

早くコロナよ、収まってくれ…

 

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